命を大切にしない奴なんか大きr・・・それよりグウィン婆さんに謝れって友達が言ってたぞ!!
早いもので今年も暮れですね。前回の更新から余裕で3週間以上 経ってますね。
本当に早いものですねぇ。
あのさぁ、ブログを「メディア」って言ってる奴がいるっしょ? 「ブログというメディアで私の意見を発信する」とか言ってる奴。
ブログサイトは公共の場だがメディアじゃねーよ。多数のリンクで同時企画をやってたり、膨大なアクセス数で定番と化しているブログはメディアかもしれないが、それ以外はただの日記でしかない。町の掲示板に貼り付けたチラシは「メディア」だが、自宅の前に開いておいた日記を「メディア」とは言わないだろう?
ブログはあくまで自己満足+αで、何かを発信できるメディアじゃない。言葉の垂れ流しは意見ですらない。何かしらエンターテイメント性がなければ本当に自己満足でしかない。
このブログを読んでくれてる方々は十数人しかいない(知らない方が何人か熱心にアクセスしてくださってるようでまことにありがたい。いつも感激しております)けど、その辺りの自覚を持って来年も一層がんばって参ります。
では・・・やっちゃおうか? やってやろうか!? みんながそこまで言うならやってあげようか!!
ブログというメディアを通して今年の総括だ!
ヒャッホーゥ!!
今年一年を表す文字は『命』に決まったそうだ。TIMの台頭が今年なら引っ張りダコだったはずである。
良い意味では天皇家に男子が生まれたことを祝し、悪い意味では異常な殺人事件やいじめを苦にした自殺への憂いを含んでいる。
これにちなんで今年最後のブログは『命』をテーマにしよう。
年末のニュース番組では毎日のようにいじめ問題を取り上げて「命の大切さを考えてほしい」とまとめていた。いじめで自殺した少年少女を取り上げて嘆き、教師や学校を責め立て、いじめそのものに憤って、最後に命の大切さで締めくくるというパターンだ。
しかしいじめ反対を掲げる番組に限って安倍新総理をいじめまくっているのだから反吐が出るじゃないか。
マスコミは寄ってたかって自国のリーダーの足を引っ張るのが大好きである。奴らのやっていることは批評でも意見でもない。
いきなり話が逸れてしまうが、タウンミーティングのヤラセなど何も問題ではない。あの場合のヤラセは何が悪いのか、誰か考えて示したことがあるか?
ヤラセがあろうがなかろうがタウンミーティングの内容にも政治の動向にも関係ない。ヤラセの応答で参加者が納得したなら、ヤラセじゃなくても納得してるだろう。納得できないならヤラセじゃなくても納得できない。ヤラセかどうかはまったく別次元の話だ。他人が納得したから自分も納得しちゃうのでは雰囲気に流されてるだけのマヌケじゃないか。
また、ヤラセという言葉に反応して、吟味もせずに不正だ何だとヒステリーを起こす人間は、そもそも権力者アレルギーだ。権力者をとにかく悪事に結びつけるパブロフの犬というか異常者である。
タウンミーティングの参加者は公募だよね? どういうわけか権力者アレルギーの持ち主は、権力者の失態や不正を見るのが大好きだ。だから権力者アレルギーの応募者はかなり多い。
もしそんな中で政治家が言葉を間違えたり、上手く説明できなかったりしたら、それこそタウンミーティングはガタガタになるじゃないか。仮に善政を進めようとしていても、ちょっとした手違いや言葉の誤用だけでマヌケやアレルギー患者の猛反発を受けることになるんだよ。
善政にしろ悪政にしろタウンミーティングはヤラセ0では機能しない。
批評や意見は「そうではない、こうするべきだ」と提示するものだが、マスコミのやることはただの揚げ足取り、ただのいじめだ。メディアが堂々といじめを見せつけておいて、子供たちのいじめがなくなるわけがない。
「命の大切さ」より常識を身につけたらどうだ。そんなものは常識の中に含まれている。
えー、閑話休題ってぇことで。テーマは『命』でした。
何かあるたびに「命の大切さ」を唱えている日本人だが、命より大切なものはないという論調には疑問を抱かずにいられない。命の大切さを唱えれば唱えるほど凶悪殺人が増えているのが笑えるじゃないか。
カイジの兵藤会長が「命は粗末に扱わなければならん・・・!」とおっしゃっていたが、もっと言ってやってください。
いや、それは極論だが、今の風潮にはそれぐらいの勢いで調度いい。
命より大切なものはないと言うが、それは何故なのか?
一つしかないから? 死んだらすべて終わりだから?
そんな考えは容易に私利私欲に陥る。自分と100人の他人の命を天秤に掛けても、死んだら元も子もないなら自分の命を大切にするかもしれない。
もちろん自分より100人の命を重んじる者もいるのはわかっている。しかし極限に追い込まれたギリギリの人間が、最後の砦とするなら、この道徳はあまりにも脆いんじゃないか?
先の兵藤会長が「命を扱う」と言っているが、それはある意味で真髄を捕らえている。
命よりも大切なものがある。命はそのために「使う」ものなのだ。
では、命より大切なものとは何か?
それは『使命』である。
日本語は本当に綺麗なもので、意味は字面に表されている。『使命』とは『命の使いどころ』のことだ。
人にはそれぞれ使命がある。命は使命を果たすための手段なのだ。
だから命は大切である。だがそれは、単に生き長らえるために大切にするのではない。
私の好きな文章の中に「侍は窮地の友を助けるため、自ら窮地に飛び込む」という件り(くだり)がある。
危険を避けたいのは人間の本能だ。助けたくとも踏み込めないのは仕方ない。しかしそれでも侍は窮地に足を踏み入れる。それは何故か?
その答えは「侍は生きることよりも、愛することが好きなのだ」と書かれている。
あんまり言いたくないが、愛することは人の使命だ。愛するとは、その人のために命を捧げることである。
それは歴史の中で先人が幾度となく示してくれている。
生きるときに生き、死ぬときに死ぬことを侍は受け入れた。たった一つしかない命よりも大切なものを武士道は教えている。
特攻隊もそうだ。国の未来と我々の誇りを守るために散っていった。決して玉砕戦術だけが特攻隊の役目だったのではない。
人には様々な使命がある。それは果たせないことの方が多いかもしれない。
しかし使命に身を捧げることは美しいことである。何よりも命が大切な動物にはとても真似などできない。人間にしかできないことである。
こんなことを言ってると建て前だとか奇麗事だとか揶揄する奴もいるが、何が悪い。
たとえ本心では逃げ出したくても、どんなに苦しくても、泣いてしまうほど辛くても、美しい建て前を貫けば良いじゃないか。
欲望を抑えられず私利私欲に流されるクズどもが、私心を抑制して他者貢献する人間に向かって「おまえの本性はオレと同じレベルだ!」とは大いに笑わせる。
よく聞くと思うが、心理学者に言わせると現代人は「生きている感覚」が稀薄らしい。
自分の生を実感できないために人を殺す人間や、苦痛から逃れるために家族を残して自殺する人間がいる。快楽のために人を殺してみたり、それで平気な顔で死刑になる人間がいる。
彼らに「命の大切さ」を説いたところで、それが通じるとでも思っているのだろうか。彼らが「命の大切さ」を理解できないのは、命よりも大切なものを何も持たないからだ。
はっきり言ってやろう。命の大切さを説く奴らが異常な快楽殺人者を育てているのだ。
使命は生命よりも尊い。愛することの価値は命を捧げて余りある。それを貫くからこそ命は光り輝く瞬間があるのだ。
その瞬間を感じられる人間が、真の意味で命の尊さを知ることができる。 おっと、いつもの癖でついつい感動巨編を書いてしまった。
来年もヨロシクお願いしまちゅ。
コメント
お返事が遅れてすみません。
いやー、来年が今年になってしまいました。
命よりも使命>
自分で言っててプレッシャーになりました。アッハッハ。
覚悟しているつもりでも、いざというとき本当に身体が動くかどうか・・・それができない人を軽蔑することはできないし、私自身も絶対ではないかもしれない。もし実行できなかったらどうしようと怖くなるときもあります。
しかし愛する人を想えば、後世の人々を思えば、心の底から使命に身を捧げたい感情が沸き起こるはずです。
あ、愛する人って、例えばの話だからな! 別に誰かのことを言ってるわけじゃ・・・勘違いするなよ!
・・・・・・あー、あー。
というわけで今年もよろしくお願いします。
いやー、来年が今年になってしまいました。
命よりも使命>
自分で言っててプレッシャーになりました。アッハッハ。
覚悟しているつもりでも、いざというとき本当に身体が動くかどうか・・・それができない人を軽蔑することはできないし、私自身も絶対ではないかもしれない。もし実行できなかったらどうしようと怖くなるときもあります。
しかし愛する人を想えば、後世の人々を思えば、心の底から使命に身を捧げたい感情が沸き起こるはずです。
あ、愛する人って、例えばの話だからな! 別に誰かのことを言ってるわけじゃ・・・勘違いするなよ!
・・・・・・あー、あー。
というわけで今年もよろしくお願いします。
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涙が止まらない……。
命、よりも使命ですか。
――男……、いや、漢ですね。
いやはや、惚れ直し……おっとと、尊敬しなおしました(微妙に意味深)それでは、来年も宜しく御願いしますね〜♪
まだまだ、アンビー&Nayumaコンビは終わりまs(ry
では☆