僕よりは大きなこの街の固い道の上をてろてろ自転車で時々パンクもするよ後編!
やたら都知事選が盛り上がってるね。
いつもなら「どうせ石原さんに決まりでしょ」って空気なのに今回は若干の荒れ模様。
水面下で左翼が動いてるとしか思えないよね。
ちょうどアメリカの議会に慰安婦問題が上がっている。日本で堂々と反論できるのは石原さんぐらいだ。
その石原さんをなんとか表舞台から消そうと、左翼が焚きつけて回ってるってのが真相でしょ。
個人的に石原さんは嫌いだ。性格といい物言いといい横暴で気に喰わない。しかし石原さんは戦える人間である。ぜひともまた都知事に就任してほしい。
上に立つ者は戦える人間でなければならないのだ。
さて前回のテロ肯定論はかなり方々から賛否両論ありましたが、いやありませんでしたが、刻詠さんが寄せてくださったコメントもテロ肯定論の一部ということになっております。
ではテロ肯定論の後編をやっと始めたいと思います!
報復の連鎖という言葉がある。
やられた者が報復し、報復された者がさらに報復し、報復に報復を重ねて無限に報復が起こるという意味だ。だから報復は何も生まない、むしろ憎しみだけを生むらしい。
果たしてそうだろうか。人間の直感は、それとは逆のことを言ってないか?
結論から言えば報復は無限に続かないし、憎しみどころか平和を生む。泣き寝入りが不当な暴力を生むんだよ。
そのキーワードになるのは『覚悟』だ。
報復するには覚悟が必要である。
『殺す』という手段で報復するなら、まず人を殺す覚悟が必要だ。また実行すれば返り討ちにされる可能性もある。イジメのように安全圏から他人だけを攻撃することはできないのだ。人を斬ろうとするなら己の身も相手の白刃の下にさらす覚悟が要る。
そして報復を果たしたとしても法律によって必ず裁かれる。刑期が終わったら、今度は相手の家族や友人に命を狙われるかもしれない。報復に報復で返すことは不当で不道徳だが、実際に起こり得る。その覚悟もしておかなければならない。
報復にはこれらすべてことを死ぬまで背負っていく覚悟が必要なのだ。
そう易々と報復の連鎖が起こせるだろうか。それなりの理由と強い意志がなければ報復はできない。
ちょうどさっき買ってきた『覚悟のススメ 完全保存版』に「受けた恨みを返せぬ者は、受けた恩を返すこともできない。復讐は平和の為にある」という作者の言葉があった。書こうと思ってたことがそのまま載ってるんだから嬉しいじゃないか!
山口貴由作『覚悟のススメ』は秋田書店より絶賛発売中だ。覚悟完了! 因果! 螺旋! 正しいから死なない! 散さまの御体重は54kgなり!!
チャンピオンRED連載中、同じく山口貴由作『シグルイ』も買って損はさせないぜ!
話が逸れましたので違う角度からテロ肯定論を続けたいと思います。
例えば数年前に核兵器で破壊された国があったとしよう。仮に核兵器を撃った国をサギー帝国、破壊された国をラディーン王国という名前にする。
サギー帝国の一般市民が平和に暮らしていたら飛行機が次々とビルに突っ込むという同時多発テロが起きた。死傷者は数万人、被害総額は数千億ドルという人類史上最悪のテロである。
やったのはラディーン王国の生き残りだった。かつて自分の国を破壊したサギー帝国への報復が目的だったという。
しかし核兵器を撃ったのは政府の上層部で一般市民には何の関係もない。巻き込まれた一般の人々は何のために死んだんだ。
気持ちはわかるが、テロだけは絶対にやってはいけない。
かつてポチ皇国という国があった。ラディーン王国よりも前に、サギー帝国に核を落とされた国だ。
ポチ皇国では生き残ったわずかな科学者が核兵器を完成させていたことが判明した。核兵器はサギー帝国に向けられ、すぐにでも発射できる状態だった。
世界中の人々がポチ皇国を非難した。
核で滅ぼされた痛みはわかる。報復したくなるのは当然だ。
だが報復して何になる? ポチ皇国が元に戻るわけではないのだ。何より、この報復には大多数の無関係な人々が巻き込まれる。
気持ちはわからなくもないが絶対にやっちゃダメだ。
サギー帝国は賠償金など払わない。払わないと核を落とすぞと脅しても払わない。本当に落とそうとすると世界中に非難される。
そもそも払われても何にもならない。
ポチ皇国は泣き寝入りした。
そしてサギー帝国は同じことを繰り返した。核を落としても報復されない。弱い国と戦争すれば、自分は安全圏から相手だけを徹底的に攻撃できるのだ。
もしも後世、テロで報復されそうになっても、世界中の人々が「テロ反対!」と助けてくれる。だってテロは絶対に『悪』なのだ。
もちろんサギー帝国も非難されるが、やっちゃったものは仕方ない。やっちゃったものは仕方ないが、これからやることは止められる。
世界中の人々は未来だけが好きだ。だから過去にこだわるテロはやっちゃダメ、未来に向けて生産的に平和に暮らそうと言うのだ。
最高だぜ、テロのない平和な世界は。何しろオレだけが一方的に弱者をいたぶれるんだからな!!
今の世界で起こってるのはまさにこういうことだ。
確かに無関係な人が巻き込まれるのはいたたまれない。できれば私も巻き込まれたくない。
だがサギー帝国が核を飛ばしたのと同時にラディーン王国が核を飛ばし返したら、どう思う? 誰もが「仕方ない」と考えるはずだ。
それなのにどうしてテロによる反撃は駄目なんだ? 少しでも時間が遅れたら「仕方なくない」のか?
それはつまり「今の時点で弱い者が攻撃されたら泣き寝入りするしかない」「今の時点で強い者は何をやっても許される」ということじゃないか。
そんな理不尽がまかり通ってたまるものか。
テロを肯定する最大の理由は、テロが抑止力になるからだ。今は弱者でもいつか必ず反撃する―――弱い者いじめはできなくなる。
もちろん報復テロに限った話だ。自分の主張を通すために用いる暴力など言語道断である。
道徳なき人間を抑制するのは罰しかない。だが法律では充分に罰せられないこともある。そういう抜け道を残したら道徳なき人間の思いのままだ。
テロは、罰することができない存在を抑制する最後の手段なのだ。
しかし、これって机上の空論なんですよね。
何故ならテロが抑止力だと認識できる人間がいないからです。抑止力は「これは抑止力だ」と認識されなければ機能しない。
意図的なのか偶然なのか、そういう世の中になってしまったんですよ。
上っ面ではないテロの本質に気づいてくれ。
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