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そもそもどうしてこんなブログを書き始めたかっていうと、これからの日本を背負っていく若人に伝えたいことがたくさんあるからだ。 いやー、なんか話がデカくなってきましたね。 しかし別に大げさな話でもなんでもない。国家はそのまま個人につながっているのだ。 今回のテーマは自由競争と格差社会。大ブームだからね。 自由競争がもたらすものは豊かな社会じゃない。国家の崩壊だ。 アリは働き者って言うけど、実は働きアリの2割は仕事をしないでサボっている。ところがサボっているアリを巣から取り除くと、残った働き者のアリの中から2割がサボり始めるから面白い。 しかし人間はこれと逆なのだ。組織の中で実際に働いているのは2割の人間で、その2割を取り除くとまた残った中から2割が働き出す。アリを見習いたいものです。 でも実際には、2割と8割が完璧に分かれることはない。皆で仕事をしたり休んだりを繰り返して、2割と8割を交代でやっていく。働きっぱなしの人やサボりっぱなしの人はほんのごく一部だろう。 つまり社会生活者で最も多いのは、そこそこがんばって、そこそこの家庭を持って、それなりに幸せな人生を送りたいと思っている人である。そういう大多数の「そこそこ」の人が「そこそこ」に幸せになれるのが、国家の存在意義だ。 だが自由競争は、その原理を完全に無視している。「そこそこ」ではなく、群を抜いて頑張った人や運のいい人、そして人を食い物にしてでも自分の利益を追求する人間だけが豊かに暮らせるのだ。 自由競争によって社会生活の努力を促す効果はある。たしかに経済は活性化するのかもしれない。豊かに暮らしたければもっと努力すればいいと、これを奨める向きも非常に多い。 だが、国家がそうであってはならない。一部の強い者だけが勝ち残り、弱者がすべて消え去るのでは、動物の世界と同じである。 それをやっては国家ではなくなるのだ。 国民に対して制限もしなければ援助もしないなどという国家がどこにあろう。自由競争は、社会の活性化という名を借りた、国家の責任放棄以外の何物でもない。 永きに渡って自由競争社会を形成してきたアメリカは、周知の通り激しい格差が社会そのものを揺るがしている。 昔はスラム街にいたストリートギャングが、今は都市にまで溢れかえり、日常茶飯事に犯罪が起こっている。少女が身体を売り、少年が売春を斡旋する。 彼らのほとんどが10代から20代前半の少年たちだ。彼らは犯罪を楽しんでなどいない。金を奪い、人を傷つけなければ、今日の食事さえ手に入らないのだ。 これを国家の崩壊と言わずして何と言おう。 日本は同じ道を辿りつつある。 止められるのは今だ。心に留めておいて頂きたい。 最後にもう一つだけ大事なことを述べておく。 いかに正しくとも、負けた者が何を言っても無駄だ。誰も聞いてなどくれない。 現代社会を生き抜く力をつけ、自分の責務を果たした上で、初めて物事が変えられる。 |
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