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久々に自分のブログを読み返してみたりなんだり
いやいや、間違ったことも書いている。
だから人間は勉強が大事だ。
しかし勉強すれば向上する。向上すれば以前との相違も当然ながら顕れる。

それでいいのだ。
大筋ではまったく間違ったことを書いたつもりはない。
しかし知識のレベルで誤りはいくつかある。
間違って覚えちゃった人、ごめんちゃいっ


みんな、 良い本を読むのが大事だよ!
今日は手短にそれだけのお話。


本を読んだり人の話を聞くとき、その論理に騙されるな。
理路整然とわかりやすく、そして受け入れやすい話をされると、なんとなく信じてしまうものだ。

だが著者や話し手の人間性を見抜くことが何よりも大事だ。
理屈では正しいように見えても胡散臭い人間っていますよね?

それは、どう見ても悪人なのに証拠不十分で逮捕できないのと同じ。
おかしな人間が正しい話をしてるように見えるときは、何か裏があるのだ。
論の内容よりも人間性を見抜き、受け入れやすい論より信じられる人間の話に耳を傾けるのだ。


何かおかしな人間の話は疑い、信じられる人間とともに学ぶのが、良い本を選ぶコツです。





つまり、
ブログを2年も放置するような人間の話は聞くな、と。



追記

知ってる人、誰かここ見かけたら名前だけでもコメしてってください
2008 / 12 / 24 ( Wed ) 19:09:36
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僕よりは大きなこの街の固い道の上をてろてろ自転車で時々パンクもするよ後編!

やたら都知事選が盛り上がってるね。
いつもなら「どうせ石原さんに決まりでしょ」って空気なのに今回は若干の荒れ模様。
水面下で左翼が動いてるとしか思えないよね。

ちょうどアメリカの議会に慰安婦問題が上がっている。日本で堂々と反論できるのは石原さんぐらいだ。
その石原さんをなんとか表舞台から消そうと、左翼が焚きつけて回ってるってのが真相でしょ。

個人的に石原さんは嫌いだ。性格といい物言いといい横暴で気に喰わない。しかし石原さんは戦える人間である。ぜひともまた都知事に就任してほしい。
上に立つ者は戦える人間でなければならないのだ。


さて前回のテロ肯定論はかなり方々から賛否両論ありましたが、いやありませんでしたが、刻詠さんが寄せてくださったコメントもテロ肯定論の一部ということになっております。
ではテロ肯定論の後編をやっと始めたいと思います!


報復の連鎖という言葉がある。
やられた者が報復し、報復された者がさらに報復し、報復に報復を重ねて無限に報復が起こるという意味だ。だから報復は何も生まない、むしろ憎しみだけを生むらしい。
果たしてそうだろうか。人間の直感は、それとは逆のことを言ってないか?

結論から言えば報復は無限に続かないし、憎しみどころか平和を生む。泣き寝入りが不当な暴力を生むんだよ。
そのキーワードになるのは『覚悟』だ。

報復するには覚悟が必要である。
『殺す』という手段で報復するなら、まず人を殺す覚悟が必要だ。また実行すれば返り討ちにされる可能性もある。イジメのように安全圏から他人だけを攻撃することはできないのだ。人を斬ろうとするなら己の身も相手の白刃の下にさらす覚悟が要る。
そして報復を果たしたとしても法律によって必ず裁かれる。刑期が終わったら、今度は相手の家族や友人に命を狙われるかもしれない。報復に報復で返すことは不当で不道徳だが、実際に起こり得る。その覚悟もしておかなければならない。

報復にはこれらすべてことを死ぬまで背負っていく覚悟が必要なのだ。
そう易々と報復の連鎖が起こせるだろうか。それなりの理由と強い意志がなければ報復はできない。

ちょうどさっき買ってきた『覚悟のススメ 完全保存版』に「受けた恨みを返せぬ者は、受けた恩を返すこともできない。復讐は平和の為にある」という作者の言葉があった。書こうと思ってたことがそのまま載ってるんだから嬉しいじゃないか!
山口貴由作『覚悟のススメ』は秋田書店より絶賛発売中だ。覚悟完了! 因果! 螺旋! 正しいから死なない! 散さまの御体重は54kgなり!!
チャンピオンRED連載中、同じく山口貴由作『シグルイ』も買って損はさせないぜ!


話が逸れましたので違う角度からテロ肯定論を続けたいと思います。

例えば数年前に核兵器で破壊された国があったとしよう。仮に核兵器を撃った国をサギー帝国、破壊された国をラディーン王国という名前にする。

サギー帝国の一般市民が平和に暮らしていたら飛行機が次々とビルに突っ込むという同時多発テロが起きた。死傷者は数万人、被害総額は数千億ドルという人類史上最悪のテロである。

やったのはラディーン王国の生き残りだった。かつて自分の国を破壊したサギー帝国への報復が目的だったという。
しかし核兵器を撃ったのは政府の上層部で一般市民には何の関係もない。巻き込まれた一般の人々は何のために死んだんだ。
気持ちはわかるが、テロだけは絶対にやってはいけない。

かつてポチ皇国という国があった。ラディーン王国よりも前に、サギー帝国に核を落とされた国だ。
ポチ皇国では生き残ったわずかな科学者が核兵器を完成させていたことが判明した。核兵器はサギー帝国に向けられ、すぐにでも発射できる状態だった。

世界中の人々がポチ皇国を非難した。
核で滅ぼされた痛みはわかる。報復したくなるのは当然だ。
だが報復して何になる? ポチ皇国が元に戻るわけではないのだ。何より、この報復には大多数の無関係な人々が巻き込まれる。
気持ちはわからなくもないが絶対にやっちゃダメだ。

サギー帝国は賠償金など払わない。払わないと核を落とすぞと脅しても払わない。本当に落とそうとすると世界中に非難される。
そもそも払われても何にもならない。
ポチ皇国は泣き寝入りした。

そしてサギー帝国は同じことを繰り返した。核を落としても報復されない。弱い国と戦争すれば、自分は安全圏から相手だけを徹底的に攻撃できるのだ。
もしも後世、テロで報復されそうになっても、世界中の人々が「テロ反対!」と助けてくれる。だってテロは絶対に『悪』なのだ。

もちろんサギー帝国も非難されるが、やっちゃったものは仕方ない。やっちゃったものは仕方ないが、これからやることは止められる。
世界中の人々は未来だけが好きだ。だから過去にこだわるテロはやっちゃダメ、未来に向けて生産的に平和に暮らそうと言うのだ。

最高だぜ、テロのない平和な世界は。何しろオレだけが一方的に弱者をいたぶれるんだからな!!


今の世界で起こってるのはまさにこういうことだ。
確かに無関係な人が巻き込まれるのはいたたまれない。できれば私も巻き込まれたくない。

だがサギー帝国が核を飛ばしたのと同時にラディーン王国が核を飛ばし返したら、どう思う? 誰もが「仕方ない」と考えるはずだ。
それなのにどうしてテロによる反撃は駄目なんだ? 少しでも時間が遅れたら「仕方なくない」のか?
それはつまり「今の時点で弱い者が攻撃されたら泣き寝入りするしかない」「今の時点で強い者は何をやっても許される」ということじゃないか。
そんな理不尽がまかり通ってたまるものか。


テロを肯定する最大の理由は、テロが抑止力になるからだ。今は弱者でもいつか必ず反撃する―――弱い者いじめはできなくなる。
もちろん報復テロに限った話だ。自分の主張を通すために用いる暴力など言語道断である。

道徳なき人間を抑制するのは罰しかない。だが法律では充分に罰せられないこともある。そういう抜け道を残したら道徳なき人間の思いのままだ。
テロは、罰することができない存在を抑制する最後の手段なのだ。


しかし、これって机上の空論なんですよね。
何故ならテロが抑止力だと認識できる人間がいないからです。抑止力は「これは抑止力だ」と認識されなければ機能しない。
意図的なのか偶然なのか、そういう世の中になってしまったんですよ。
上っ面ではないテロの本質に気づいてくれ。

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2007 / 03 / 21 ( Wed ) 20:24:21
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矢野絢子さんの「てろてろ」はすごくいいです。そういうわけで「テロ肯定論」前編!

まいどまいど、やっとこ更新です。月一更新でもついてきてね!
お願いします・・・

えー久々でなんですが2回に分けてちょっと受け入れにくいヤツをやろうと思います。
そのお題とは・・・

『テロ肯定論』!!

さあ、右翼ですら全肯定はしない大東亜戦争を全肯定しちゃうアブナイ奴が、いよいよ国家社会の大敵、テロまでも肯定し始めたぞ。
テロに巻き込まれてもいいというのか? あの悪夢の9.11テロまで肯定するのか? 初めて買ったCD「てろてろ」と関係あるのか!?
今回は前編、次回は後編でやろうと思います。お時間がありましたら付き合ってやってください。
前編は恒例、ニュースの話題です。


日本でひき逃げしてブラジルに逃げた男が裁判を受けることになった。
国外へ逃亡すれば犯罪者は犯罪者ではなくなる。当然ながら国によって法律が違うからだ。犯罪はその法律が適用される範囲での違法行為である。よって、逃げ込んだ先の国が承諾しなければ他国が裁くことはできない。
今回の件はブラジル国が日本国の代理として犯人を裁くことになった。ここまで来るのに、たしか8年ぐらいかかったはずである。気の遠くなるような年月だ。

また、信号無視が原因の自動車事故で幼い女の子を殺したブラジル女も、最近 頻繁にテレビに顔を出している。この女も国外逃亡しておきながら平気なツラで「信号は青でした」と宣っているのだから、遺族の神経を逆撫でしているとしか思えない。

もし皆さんが遺族の立場なら怒り心頭に発し、悔しさに涙が留まらないと思う。あるいは報復に出るかもしれない。私なら叩き斬りに行ってしまうところだ。
この気持ちは良い意味で人間らしい感情を持っていれば誰でも理解できるだろう。仮に身近な人間が報復に出ても止めないかもしれない。

しかし、それは犯罪である。犯罪と知って暴力行為に及ぶことは、すなわちテロである。
だが遺族に同情を示さない人間の方が明らかに少数のはずだ。
なんでもないことで人が命を落とし、悪人が悠々と生き延びたのでは、この世の道理が通らないではないか。

遺族は犯人を殺して日本に逃げ帰ってきても善いと私は思う。このテロを私は肯定する。
侍の信条を持っているなら切腹することも善い。仇を討って正義の道理を貫き、腹を切って公道の秩序に身を捧げることが、日本人の最も美しい姿の一つだと思う。勝手なこと言ってごめんちゃい。


もう一つ、最近のニュースで観た特集がある。リンチを受けて脳に障害を負ってしまった青年の話だ。

その青年は中学生の頃、人違いで不良グループに絡まれ、激しい暴行を数時間に渡って受けた。犯人の不良どもは途中で人違いに気づいた(というか、どうでもよくなった)が面白がってリンチを続けたそうである。
発見された当時、青年の顔は信じられないほど腫れ上がって、脳は大型トラックに猛スピードでぶつけられたようにグシャグシャに損傷していた。
一命は取り止めたが身体の機能不全が残り、特に脳の障害は日常生活にも支障を来たしていた。例えば新しいことをなかなか記憶できず三歩 歩くと忘れてしまうような状態である。

しかし青年は塞ぎ込んだりはせず前向きに生きることを決めていた。自殺衝動に駆り立てられることもあるが、一生懸命に生きる道を自分の手で選んだのだ。
ときどき自分をこんな目に遭わせた奴らを思い出し「くっそぉ・・・!」と思うこともあるらしい。少年だった犯人グループはさっさと刑期を終えてのうのうと普通に暮らしている。
でもそんな奴らのことを考えていてもしょうがない。それで自分の人生が変わるわけじゃない。自分の人生をどれだけ楽しめるかが大切なのだ。


私は違和感を覚えた。
青年のことを思えば同情する以外にない。もしも自分だったら・・・その苦悩は想像の域を出ないのだ。
私は集団暴行されたわけでもなく、脳に障害を負っているわけでもないが・・・・・・そうは思わない。どうしても彼と同じ考えには至らない。

青年が「自分の人生を楽しむ」と言っていたのは正しいかもしれない。
だがそれは「自分の人生がどこにあるのか」を見ていないからではないだろうか。

人生はほんの一瞬のことである。我々が生まれてくる前には気の遠くなるような歴史があるのだし、死んだ後にはそれこそ永久の歴史が積み重なってゆく。
我々には長く永く感じられるが、それは遥かに永い歴史の砂の一粒のようなものなのだ。

その死生観を持ったとき、答えは変わってくると思う。
自分の人生を精一杯 楽しむことよりも、やらねばならないことがある。
やられたらやり返すのだ。
復讐ではない。憎しみで傷つけるのではない。
やらねばならない。そういう感覚が沸き起こってくるはずだ。

そのエネルギーの一つは人間の根本的な怒りである。だが憎しみで肥大した嚇怒や、恨みで捻じ曲がった怨怒ではない。
人間が内に持つ激情が発する、根源的な怒りそのものをぶつけるのだ。それは本人だけができる。
殺しても構わん。理性が飛んだら叩き殺してしまえ。相手は理性の内にリンチを楽しんだのだ。
大切なのは自分の人生を「いかに楽しむか」ではない。「いかに仕上げるか」だ。


・・・・・・過激だったかなぁ〜。
パッと見は過激というか危険かもしれないけど、論理化すればそうでもないとわかるはずです。

今の教育を受けて育つと、怒りや激情や暴力は悪いものに見えると思う。私も以前はそう思っていた。
でも激情や暴力も人間の一部なんだよね。けっして否定的なものじゃないし、否定しても無くなりはしないんだ。

子供同士のケンカはすごく少なくなったように思う。ドラマやマンガで昔の子供の様子が描かれていると必ずケンカしてる奴がいるんだけど、私が小さい頃はもうほとんどケンカはなかった。今はもっと少ないんじゃないかな。
じゃあ激情や暴力がなくなったのかと言えばそんなわけはない。振るえない暴力はケンカの代わりに陰湿ないじめを生んで、表せない激情は子供同士の殺人みたいにして暴発するようになった。


激情や暴力をアメリカはテロと呼んだ。そして世界中がテロと呼ぶようになった。
テロをアメリカは悪と呼んだ。世界中がテロを絶対悪と呼ぶようになった。
何故、アメリカに激情がぶつけられたのか? 何故、アメリカに暴力が振るわれたのか? それだけの理由があったんじゃないのか?
そんなことを考える間もなく「テロ=悪」は固定観念になった。

すべてのテロを肯定するわけではない。
すべての激情や暴力を否定した世界がどう傾いていくのか、それを言っているのだ。

テーマ:武士道? - ジャンル:その他

2007 / 02 / 16 ( Fri ) 19:53:36
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今年も国を憂いたりなんかしてみちゃったりなんかしちゃったりして

皆様、明けましておめでとうございます。
ここ5、6年 正月休みがないNayumaことにょろの馬場です。
今年もよろしくお願い致します。


皆様のご期待にお応えして『武士の一分』観てきましたよ!
若いカップルがほとんどいなくて老夫婦ばかりだったのが意外でした。

え〜、映画の内容なのですが・・・なんというか、若者が侍に興味を持つ入り口としてはいいんじゃないでしょうか。
ストーリーを軽く説明しておきましょう。

木村拓哉が演じる主人公は毒見役のヒラ侍です。ある日、いつものように毒見を終えた主人公に異変が起こります。なんと食中毒です。彼は一命は取りとめたものの失明してしまいました。
しかし落ち込んでいるのも束の間、主人公に再び異変が起こります。身体が軽くなり、自由自在に壁を登って、手のひらからクモの糸を出せるようになったのです。彼はこの能力を使ってビルからビルへ飛び移り、悪人を退治して人々を救うヒーローになりました。
ところが親友の父親が奇妙な魔力を持つ仮面に魅入られ、ゴブリン侍と名乗って悪事を働くようになります。空飛ぶサーフボードに乗ったゴブリン侍は爆弾をばら撒いて街をメチャクチャにしました。
その一方で主人公は幼なじみのMJとの仲がうまく行かず、また自分の責任感の欠如から大切な伯父を亡くしてしまい、彼は悩んだ末、スパイダーマンとして生きていくことを・・・

・・・・・・んっ!? あれっ!?
すみません、間違えました! これは『武士の一分』じゃなくて『スパイダー侍』の方でした!
いやー、失礼。今年は3が公開されるし楽しみですねー。

『武士の一分』はね・・・エンターテイメントとしての感想は「特に面白くない」、侍映画としての感想は「現代人じゃこれが限界か」という感じです。
まったく面白くないわけじゃないんだけど・・・あのね、映画全編を通して、すべてが現代人の感覚なのよ。切腹とか仇討ちとかを「侍映画の小道具」としか見てなくて、当時の人の心情をまったく描写できてない。侍の行動を現代人の理屈で勝手に解釈してる。
だから悪い意味で「わかりやすい」。これを1時間にまとめてテレビ放映したのなら素晴らしいと思います。でも映画でこれじゃあね・・・

『ラスト・サムライ』なんか外人が作ったのに、なかなかよく侍の心情を描けてたよ。ちょっとトム・クルーズが強すぎるけど。日本人は外人より日本の心を失ってしまったんだろうか。

っていうか何様のつもりだよ、この感想は!

この消費者が!!


おまえの書きかけの小説はどうした!!


ではでは、今年の一発目は「どうなる、今年の日本!?」って感じでいきましょうか。
テーマは「安倍内閣」「NHK」「北朝鮮」の3つだ。


まず安倍内閣。
去年のブログでは安倍首相をかばうような感じだったけど、実はあまり好きではない。だいたい「ポスト小泉」なんてお題目で総理になったら自分の意思で動けるわけがないのだが、安倍首相はそれが顕著だ。
安倍首相はどうやら歴史認識はしっかりしてるようだが、結局は歴史知識だけの生命財産至上主義である。少しぐらい貧乏でもいいから自分の足で立ってられる「美しい国」がいいと思わないか?

しかし批判はここまでに留めたい。言いたいのはここからだ。
マスコミはとかく揚げ足取りに終始しているがリーダーを良い方向へ導こうとはしない。大事なのは貶したり引きずり下ろすことじゃなくてリーダーを育てることだろう。
支持率急低下だの内閣不信任案だの言ってるが、誰が代わりにやるんだよ。あらゆる批判をかいくぐる完璧な人材がいるのか? だいたいマスコミに支持されるような奴は完璧な左翼だろうが。

安倍首相の言ってることはわかりにくい。だからマスコミがわかりやすく解説しろ。
愛国心教育とか方法論が下手すぎる。行動ではなく方法を批判しろ。
公民一体なくして国家繁栄のあるはずがない。


次はNHKの受信料義務化。
不祥事連発で不満を煽っておきながら、みんなが払わないから義務にするという駄々っ子ぶり。見習いたい傲慢さである。
しかもNHKは左翼のプロパガンダかと見紛う番組ばっかり放映してるのだからとんでもない話だ。
例えば『高校講座』の近代史では韓国併合を取り上げる際、日本軍を徹底的に悪として解説する。有りもしない真っ赤な大嘘までついてな。

その昔、韓国は様々な植民地主義国家に狙われていた。その理由のひとつに日本に最も近いことが挙げられる。
以前も述べたように世界中で白人による植民地支配が認められていた時代、日本も標的の一つであった。海に囲まれているために攻めづらいが、韓国を領土化すれば日本は目と鼻の先だ。日本侵略の拠点としてはうってつけである。

ところが韓国には危機感も自衛の備えもない。あえて言うが当時の韓国人には自立や向上心といった精神が欠けていた。だからいつまでもヘタレ化した中国に従っていたのだ。
このままでは韓国は白人帝国に侵略され、日本侵略の基地にされてしまう。日本は自国のためにも韓国のためにも何度も近代化を訴えたが、韓国はそれを受け入れなかった。
そうこうしている内に軍事大国ロシアが韓国を侵略し始めてしまった。日本はこのままではいかんと、とうてい敵わないだろうと思われたロシアに戦いを挑んだ。これが日露戦争である。

日本は辛くも日露戦争に勝利し、韓国の保護国となった。
しかし保護国の形式について日本国内で意見が割れる。大雑把に分ければ「今だけ韓国を守って近代化させ、自衛の力を付けたら独立させよう」派と「韓国を日本にして、同じ国民になろう」派だ。白人のように「奴隷にしようぜ」と言ってた奴はほんの極少数である。ちなみに韓国国内でも賛成・賛成だが意見・反対で割れていた。
日本はひとまず「今だけ韓国を守って近代化させ、自衛の力を付けたら独立させよう」派の伊藤博文を韓国の監督にした。植民地主義の時代、奴隷にできるはずの相手を守って育てようというのだから、大日本帝国はとんでもないお人好しである。
しかし韓国の重安慶とかナントカというテロリストが伊藤博文を暗殺しちゃったから日本は激怒、韓国も大慌て。
結局、韓国に最も有利だった伊藤博文を自分で暗殺しちゃった韓国は、日本と併合することを受け入れたのでした。

その後、日本は韓国の治安改善と近代化に汗水を流し、自国では大赤字を出しながら韓国を豊かにした。教育・人材育成にも力を注いで、識字率が異常に低かった韓国に韓国語(ハングル文字)を普及させた。
しかも自立心に欠ける韓国は「日本万歳!」と言い出す始末だった。


さて、これが韓国併合の大雑把な概要だ。
しかしNHK高校講座では韓国併合をこのように解説していました。

「日本は韓国を侵略し、植民地化しました。日本軍は韓国人を厳しく弾圧・迫害しました。しかし韓国は立派な国で、日本軍の弾圧に遭いながらも自力で近代化を進めたのです」

なんなんだ、これは。どこからどう見たらそうなるんだ!
国による歴史解釈の違いとは、まぁ〜よく言った詭弁だな。自力で近代化か。ほぉ〜。
その上、伊藤博文を暗殺したマヌケは鬼畜日本軍に抵抗した英雄扱いで、ハングル文字も自力で普及させたと語っていた。

よくもまあこれだけの大嘘が堂々とつけるもんだ。で、これにお金を払って見させ、我が国の高校生に教え込もうというんだから、まったくイカレたテレビ局だぜ。
「おまえの親は人殺しなんだよ」と言われ続けて育った子供がどんな人間になるか、考えたことがあるのかゴミども! NHK教育は日本・恥さらし・クズ教育の略か?

でも一番かわいそうなのは、受信料回収のおっさん達なんだよ。
今までNHKの受信料は係のおっさんがチャリで一軒一軒 回って回収してた。おっさん達の給料は歩合制だ。回収できなければ給料はもらえず生活もままならない。

数年前から不況の煽りと不祥事連発で受信料回収率は極端に下がってしまった。上層部の悪事でおっさん達の生活は貧窮したのだ。
そして今度は受信料の支払い義務化である。わざわざ回収に回らなくても納金されるということはつまり、おっさん達の仕事が減るのだ。
不況で就職難に陥り、上の不祥事で困窮していたおっさん達は、いよいよ首切りである。


なんだか暗い話題が多いなぁ。じゃあ最後は地上の楽園、北チョン王国の明るい話題で締めよう。
テンションアゲアゲ! でイクからみんな、ついて来てよ! でもアゲアゲで破天荒を演じておきながら周囲に流されて全裸→半裸→ボディスーツまでグレードをサゲサゲしまくって、しかも怒られちゃうようなことがないように気をつけます!!

北朝鮮と韓国は同じ朝鮮民族なんだ。みんな、知ってたかな!?
だから両国は昔から統一の指向が強い。チャンスが来たらひとつの大国家になる可能性が高いんだぜ!

で、今のところ韓国はアメリカの仲間なんだけど・・・もし北チョンの独裁体制が倒れて良い国になったら、韓国はアメリカを裏切って(?)朝鮮民族共同体みたいな経済を開始すると考えられてる。

そうなったらアメリカは経済的に大打撃を受けるよね。有益な仲間が減って巨大な敵が出現するわけだから。
だから現在のように北朝鮮が核を保有して、味方である中国や韓国に嫌われてる状況は、アメリカにとってはある意味で好都合なんだ。
そういった理由から、できればアメリカは嫌われ者の金正日体制を崩したくないだろう、と私は読んでいた。いつかのメリケン君と北チョン君が出てくる「アメリカンピザ〜」の記事を見て頂ければわかると思う。

でもビックリしたことがひとつ。金正日の元専属料理人がテレビに出てるよね。あの人が言ってたんだけど・・・金正日はアメリカに武力で対抗するために核を持ったんだって。アメリカを恐がってるという側面もあるらしい。
てっきり、核はただの外交カードだと思い込んでたよ! こいつぁ一本 取られましたっ! ぁいや、さすが将軍様!!

そうなると読めなくなってくるなぁ。
アメ公は経済的な理由から北チョンの独裁体制を崩したくない。北チョンを嫌われ者のままにしておきたい。
しかし核は脅威ではある。核はちょっと恐いから捨てさせたい。しかしそれが独裁体制崩壊につながっては元も子もない。
となると、しばらくは「核廃棄が先だ」「制裁解除が先だ」の平行線会議で現状維持、時間を稼ぐつもりだろうか。

アメリカに最も都合の良い展開は、北朝鮮をアメリカの犬にしてしまうことだろう。アメリカの犬と化してしまえば韓国と統一されてもコントロールし易く、首尾よく行けば韓国までアメリカの犬にできる。

問題なのはその方法だが、やはり武力で押し入って北朝鮮を改造するのが手っ取り早くて確実だ。大東亜戦争とイラク戦争で味をしめてるしな。
武力解決になると、アメリカはまず相手に先制攻撃をさせる。大東亜戦争なら真珠湾攻撃、イラク戦争なら9.11同時多発テロだ。北朝鮮は核ミサイルを飛ばすだろうから、狙うなら日本にしてほしい。北チョンは日本を憎んでるし、アメリカは日米安保で日本を守る約束をしてるから、最も自然な流れで安全に北チョンと戦争できる。

しかしいくら将軍様が馬鹿でも、アメリカにキレて日本にミサイルを飛ばすようなマネはしない。アメリカにキレたらアメリカに飛ばすのが普通だろう。届くかどうか知らないが。

となると・・・・・・

アメリカは例の平行線会議を続け、北朝鮮を経済的にも国交的にも追い詰める。北朝鮮はにっちもさっちも行かず体制崩壊か戦争かの暴発寸前になる。
そこでアメリカは「北朝鮮の脅威が高まった。日本も危険だから、米軍の基地を開発して有事に備える」とか言って武力兵器を日本に集め始める。

しかし北朝鮮から見れば、これは「アメリカが日本に軍事力を集めて北朝鮮と戦おうとしている」ように見える状況だ。実際、この状況が完成した暁にアメリカが「核を捨てて降伏しろ」と勧告すれば北朝鮮は従わざるを得ない。
すでに追い詰められている北朝鮮は、そうなる前にミサイルを発射、日本を攻撃。アメリカは「Oh、俺達の大切なトモダチ、日本をよくも攻撃したな!」と北朝鮮に攻撃開始。
そして安全で確実な戦争に勝ったら北朝鮮をポチにして、日本には恩を売りまくって、めでたしめでたし。

・・・・・・っていうのが、今のところ考えられる展開かなぁ。
何か引っかかる気もするが。

とにかくアメリカが武力とか戦争とか核の脅威とか言い出したら要注意だね。

しかしどの国も、金正日の独裁体制と戦って北朝鮮国民を救う気はさらさらないよ。どこも自国の国益だけ。正義もクソもない。日本なんか軍隊すらないんだから、自分さえ平和なら他人が苦しもうが殺されようが関係ないって言ってるのと同じだ。
国益より正義を大事にする国があるとすれば、大日本帝国ぐらいのもんかね。


しかし今回の記事・・・・・・長ぇ!!

テーマ:武士道? - ジャンル:その他

2007 / 01 / 21 ( Sun ) 20:21:54
* 政経テスト12点なのに政経を語るよ! * trackback(1) * comment(2) * page top↑
命を大切にしない奴なんか大きr・・・それよりグウィン婆さんに謝れって友達が言ってたぞ!!

早いもので今年も暮れですね。前回の更新から余裕で3週間以上 経ってますね。
本当に早いものですねぇ。

あのさぁ、ブログを「メディア」って言ってる奴がいるっしょ? 「ブログというメディアで私の意見を発信する」とか言ってる奴。
ブログサイトは公共の場だがメディアじゃねーよ。多数のリンクで同時企画をやってたり、膨大なアクセス数で定番と化しているブログはメディアかもしれないが、それ以外はただの日記でしかない。町の掲示板に貼り付けたチラシは「メディア」だが、自宅の前に開いておいた日記を「メディア」とは言わないだろう?
ブログはあくまで自己満足+αで、何かを発信できるメディアじゃない。言葉の垂れ流しは意見ですらない。何かしらエンターテイメント性がなければ本当に自己満足でしかない。

このブログを読んでくれてる方々は十数人しかいない(知らない方が何人か熱心にアクセスしてくださってるようでまことにありがたい。いつも感激しております)けど、その辺りの自覚を持って来年も一層がんばって参ります。


では・・・やっちゃおうか? やってやろうか!? みんながそこまで言うならやってあげようか!!

ブログというメディアを通して今年の総括だ!
ヒャッホーゥ!!


今年一年を表す文字は『命』に決まったそうだ。TIMの台頭が今年なら引っ張りダコだったはずである。
良い意味では天皇家に男子が生まれたことを祝し、悪い意味では異常な殺人事件やいじめを苦にした自殺への憂いを含んでいる。
これにちなんで今年最後のブログは『命』をテーマにしよう。

年末のニュース番組では毎日のようにいじめ問題を取り上げて「命の大切さを考えてほしい」とまとめていた。いじめで自殺した少年少女を取り上げて嘆き、教師や学校を責め立て、いじめそのものに憤って、最後に命の大切さで締めくくるというパターンだ。
しかしいじめ反対を掲げる番組に限って安倍新総理をいじめまくっているのだから反吐が出るじゃないか。
マスコミは寄ってたかって自国のリーダーの足を引っ張るのが大好きである。奴らのやっていることは批評でも意見でもない。

いきなり話が逸れてしまうが、タウンミーティングのヤラセなど何も問題ではない。あの場合のヤラセは何が悪いのか、誰か考えて示したことがあるか?

ヤラセがあろうがなかろうがタウンミーティングの内容にも政治の動向にも関係ない。ヤラセの応答で参加者が納得したなら、ヤラセじゃなくても納得してるだろう。納得できないならヤラセじゃなくても納得できない。ヤラセかどうかはまったく別次元の話だ。他人が納得したから自分も納得しちゃうのでは雰囲気に流されてるだけのマヌケじゃないか。

また、ヤラセという言葉に反応して、吟味もせずに不正だ何だとヒステリーを起こす人間は、そもそも権力者アレルギーだ。権力者をとにかく悪事に結びつけるパブロフの犬というか異常者である。
タウンミーティングの参加者は公募だよね? どういうわけか権力者アレルギーの持ち主は、権力者の失態や不正を見るのが大好きだ。だから権力者アレルギーの応募者はかなり多い。
もしそんな中で政治家が言葉を間違えたり、上手く説明できなかったりしたら、それこそタウンミーティングはガタガタになるじゃないか。仮に善政を進めようとしていても、ちょっとした手違いや言葉の誤用だけでマヌケやアレルギー患者の猛反発を受けることになるんだよ。
善政にしろ悪政にしろタウンミーティングはヤラセ0では機能しない。

批評や意見は「そうではない、こうするべきだ」と提示するものだが、マスコミのやることはただの揚げ足取り、ただのいじめだ。メディアが堂々といじめを見せつけておいて、子供たちのいじめがなくなるわけがない。
「命の大切さ」より常識を身につけたらどうだ。そんなものは常識の中に含まれている。


えー、閑話休題ってぇことで。テーマは『命』でした。
何かあるたびに「命の大切さ」を唱えている日本人だが、命より大切なものはないという論調には疑問を抱かずにいられない。命の大切さを唱えれば唱えるほど凶悪殺人が増えているのが笑えるじゃないか。
カイジの兵藤会長が「命は粗末に扱わなければならん・・・!」とおっしゃっていたが、もっと言ってやってください
いや、それは極論だが、今の風潮にはそれぐらいの勢いで調度いい。

命より大切なものはないと言うが、それは何故なのか?
一つしかないから? 死んだらすべて終わりだから?
そんな考えは容易に私利私欲に陥る。自分と100人の他人の命を天秤に掛けても、死んだら元も子もないなら自分の命を大切にするかもしれない。
もちろん自分より100人の命を重んじる者もいるのはわかっている。しかし極限に追い込まれたギリギリの人間が、最後の砦とするなら、この道徳はあまりにも脆いんじゃないか?


先の兵藤会長が「命を扱う」と言っているが、それはある意味で真髄を捕らえている。
命よりも大切なものがある。命はそのために「使う」ものなのだ。

では、命より大切なものとは何か?
それは『使命』である。


日本語は本当に綺麗なもので、意味は字面に表されている。『使命』とは『命の使いどころ』のことだ。
人にはそれぞれ使命がある。命は使命を果たすための手段なのだ。
だから命は大切である。だがそれは、単に生き長らえるために大切にするのではない。

私の好きな文章の中に「侍は窮地の友を助けるため、自ら窮地に飛び込む」という件り(くだり)がある。
危険を避けたいのは人間の本能だ。助けたくとも踏み込めないのは仕方ない。しかしそれでも侍は窮地に足を踏み入れる。それは何故か?
その答えは「侍は生きることよりも、愛することが好きなのだ」と書かれている。

あんまり言いたくないが、愛することは人の使命だ。愛するとは、その人のために命を捧げることである。
それは歴史の中で先人が幾度となく示してくれている。

生きるときに生き、死ぬときに死ぬことを侍は受け入れた。たった一つしかない命よりも大切なものを武士道は教えている。
特攻隊もそうだ。国の未来と我々の誇りを守るために散っていった。決して玉砕戦術だけが特攻隊の役目だったのではない。

人には様々な使命がある。それは果たせないことの方が多いかもしれない。
しかし使命に身を捧げることは美しいことである。何よりも命が大切な動物にはとても真似などできない。人間にしかできないことである。
こんなことを言ってると建て前だとか奇麗事だとか揶揄する奴もいるが、何が悪い。
たとえ本心では逃げ出したくても、どんなに苦しくても、泣いてしまうほど辛くても、美しい建て前を貫けば良いじゃないか。
欲望を抑えられず私利私欲に流されるクズどもが、私心を抑制して他者貢献する人間に向かって「おまえの本性はオレと同じレベルだ!」とは大いに笑わせる。


よく聞くと思うが、心理学者に言わせると現代人は「生きている感覚」が稀薄らしい。
自分の生を実感できないために人を殺す人間や、苦痛から逃れるために家族を残して自殺する人間がいる。快楽のために人を殺してみたり、それで平気な顔で死刑になる人間がいる。
彼らに「命の大切さ」を説いたところで、それが通じるとでも思っているのだろうか。彼らが「命の大切さ」を理解できないのは、命よりも大切なものを何も持たないからだ。
はっきり言ってやろう。命の大切さを説く奴らが異常な快楽殺人者を育てているのだ。

使命は生命よりも尊い。愛することの価値は命を捧げて余りある。それを貫くからこそ命は光り輝く瞬間があるのだ。
その瞬間を感じられる人間が、真の意味で命の尊さを知ることができる。
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テーマ:武士道? - ジャンル:その他

2006 / 12 / 30 ( Sat ) 20:19:02
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